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昭和10年5月25日、旧国鉄佐賀線ができると同時に架設された
東洋一の可動式鉄橋
。橋の全長は約506m。橋脚の深さは約15から18mと記録されているが、有明海は干満の差が大きく水面が一定ではないため掘削作業は困難を極めた。橋桁を架ける時は船で運び、潮と浮力を利用したと記録されている。船舶の航行が多く、それを容易にするため昇降式可動橋が作られたといわれている。
筑後川の水面は有明海の干満の影響を受けて一定ではなく、干潮の時は可動橋が降りていても、小船は通ることができるが、中型船以上は列車通過まで一時ストップしなければならなかったこともあり、佐賀線設置の時に船舶会社と協議され、列車通過以外は船舶を優先されることが約束された。
昭和62年3月27日の佐賀線廃止に伴い、鉄道としての役目を終えた。取り壊しが検討されたが、筑後川のシンボル的存在のこの橋を何とか残そうという住民の声は日増しに高まり、
平成8年4月29日に遊歩道としてよみがえった
。平成8年12月26日に国の登録文化財に登録され、
平成15年5月30日に国の重要文化財に指定された。
また、平成19年8月には日本機械学会の「機械遺産」として認定された。
筑後川昇開橋 九州観光ホームページ
http://www.ajkj.jp/ajkj/fukuoka/okawa/kanko/shoukaibashi/shoukaibashi.html
日本機械学会 機械遺産一覧
http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/list.html
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「おふろうさん」と呼ばれ、約1,800年前創建された神功皇后ゆかりの神社です。白鷲(しらさぎ)がとまった所に宮殿を建てたのが起源といわれ、明治40年に本神殿と正平塔が
国の重要文化財
に指定された。
備考
風浪宮例大祭
風浪宮ホームページ
http://www.ofurousan.jp/
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旧吉原家住宅は、柳河藩小保町の別当職を代々務め、後には蒲池組の大庄屋となった吉原家の居宅です。母屋は文政8年(1825年)当主吉原三郎左衛門三運により建築され、巡見使の宿泊や藩の公用に利用されていました。平成11年12月には
国指定重要文化財(建造物)
に指定されました。
旧吉原家住宅ホームページ
https://www.city.okawa.lg.jp/050/050/040/
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古賀政男は、明治37年大川市旧田口村に生まれた、73年の生涯にわたり昭和初期から歌謡曲約4,000曲を生み出した
郷土が誇る大作曲家
です。記念館は、ト音記号のついた白い建物で、館内には、愛用のギターや譜面などの遺品が展示されています。
備考
古賀政男生誕祭
古賀政男記念館ホームページ
https://www.city.okawa.lg.jp/090/050/010/
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