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昭和を偲び、未来を謳う、センチメンタルジャーニー。
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「詩の裏側にある意味が大事。その裏の意味をずっと考えて曲を考えるのがメロディをつける者の責任です」とは、昭和歌謡界を代表する作曲家・古賀政男の残した言葉である。
古賀政男は、明治37年11月18日福岡県三潴郡田口村三丸(現在の大川市)に生まれた。
厳格な家に育ち、親の目を盗んでは大正琴を弾く少年だったという。
大正12年、明治大学在学中に明治大学マンドリン倶楽部を創設。
「影を慕いて」を作曲し「酒は泪か溜息か」「東京ラプソディー」をはじめ「丘を越えて」「無法松の一生」「柔」など、多くのヒット曲を世に出した。
それらを人々は「古賀メロディ」と呼んだ。 |
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古賀政男記念館 |
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終戦後の焼け野原だった日本から高度経済成長期まで、ただがむしゃらに駆け抜けてきた激動の昭和。
喜びや哀しみ、苦しさや希望、あの時代、その時々の一人ひとりの人生とともに古賀メロディはある。
哀愁を帯びた美しい旋律は、聴く者の、心の奥底にしまっておいた思い出を甦らせ、大川の風景をにじませる。私の人生もまた、古賀メロディの中にある。
昭和57年、大川市は彼の偉業をたたえ、幼年時代を過した生家近くに記念館を創設した。
いま「古賀メロディギターアンサンブル」が結成され演奏活動を行っている。
公演は150回を越え、イタリア・ナポリでの公演も見事成功を収めた。
演奏メンバーの一人は言う「古賀先生の旋律は世界でも通じます。
私たちは、今の流行歌のように編曲するのではなく、古賀先生の音色に近づけて演奏していきたい」―その熱い想いがある限り、古賀メロディは不滅だ。
故郷の名前をとって活躍している、歌い手・大川栄策氏。現在、ふるさと大使をして大川を盛り上げている。
毎年行われる大川音楽祭では、無名の頃の氷川きよし氏も見事、最優秀賞に輝いた。
また若者の間で人気の音楽マンガ「のだめカンタービレ」のモデルになった女性も、何を隠そう大川のピアノ教師である。
そしてまた、大川出身のシンガーソングライター久米博之さんの手によって、大川の新しい歌も生まれた。
悲しみや寂しさだけではない、生きることの歓び、人の強さ、逞しさを旋律にしのばせた作曲家・古賀政男のセンチメンタルな心は、筑後川のように絶えることなく、人々の心の中に響き続けるだろう。 |
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